2014年03月

ブログでは、私的なことを思うままぶつぶつつぶやくのが私流、
テニスもランもボクシングも、実は、この私的な生活の一部にすぎず、
私の一日の大半は、仕事の基盤となる「勉強」に費やされる。
その「勉強」は、すぐに収入につながるものでもないが、 woerka
怠ると、教師としての総合力に跳ね返る。
たとえばラテン語、仕事に直接必要はないが、言葉を教える時の「基礎力・幅」となる。William Somerset
すぐに結果を追い求める日本人は、私のような生き方を「無意味」と批判しがちだが、
こと学問の世界にあっては、結論を急ぐことは百害あって一利なし、
ゆっくりと熟成する時間を与えることが、今世間を騒がせているSTAP疑惑問題にも必要なのではないか。 Washall

そして、今になって、
ちょっと胸躍る仕事の話が… lisad
テニスでも、あきらめていたOコーチの長期コーチングが実現しそう…
与えられた時間とチャンスを一刻も無駄にしないよう、来月から、テニスに取り組みたいと思う。 washall

対、右は高価なチタン!製のプレート(キーホルダー)です。世态炎凉
それと今回、かつて部長をされたオーテス・ケーリ先生ゆかりの
アーモスト館、OBクラブであるDACが発行するDACニュースの
ケーリ先生特集号一冊、および式典資料一式です。

そのロゴマークですが、トヨタ創業よりも古い!歴史の重みを感じる
タバコ屋にとってはお宝マークです。ある意味これも一つのブランド
と言えるのではないでしょうか。singnice


これから第2部の記念式典が始まります。(OB総会は出席出来ず)
同志社大学は普段は何の色もありませんが、節目では創立の精神がsingnice123
プロテスタントキリスト教であるため、礼拝と賛美歌で始めます。
ご先師は同志社大学キリスト教文化センターの越川副所長です。
左手は本日の式典の司会を頂くOGの安井女史です。お世話様です。じゃふぁ
オルガンは松原女史のご演奏です。

一同厳粛な雰囲気で牧師の先生の礼拝に接し、しばし賛美歌の斉唱

タバコ屋の同期の面々です。全部はご紹介出来ませんが、中央の
岡山高島屋の偉いさん三宅氏を始め総勢10名の参陣です。
IMG_3396.jpg
中央は本日祝賀会の司会をして頂くOBの今井氏です。ご苦労様。 ぉぽぉあを

「夫婦仲良く三度くふ飯」 ここが好きです^^
兄弟でも友達でもいいけれど、とにかく誰かと、
三度の食事を頂ける事が幸せなんだなぁと思いました^^大家哄哄哄哦
フェアリーグランマさんが、おうちで食事してる時、きrふぇ
お友達もフェアリーグランマさんを思って食事してるかもしれませんね^^
あ! 私と同じ時間かもしれませんね^^



 なんか、右か左。どちらでも・なんて、いうと・確かに・そうかもね・
 言われてみれば、そうなのか、なんて、思う。面白いね。聘請家務助理

ひとり、笑っています。


 今の日々、食べることが一番の喜びなんです。ふっふ、ふっふ。ふとる。ふっふ。
 そうね。一人でも、あなたと美味しくランチなんてね。思えばいいのですものね。
 一緒に、頂いてる。思えばいいのですものね。

 あなたのひとことで、また、楽しいわ。ありがとう。
ちぇんg

昨日の新聞に ある専門学校の卒業式の写真が掲載されていました。

ほとんどの女子学生が 袴姿です。

なかには 袴姿にブーツの学生も見かけます。



この袴姿で式に参列するようになったのはいつの頃からでしょうか?poerower123br />


この袴姿 もともとは 大正時代の女学生の普段着だったそうです。 poerower

ですから 儀式用の服装ではないといわれています。



成人式や卒業式 結婚式などの未婚の女性の礼装は振袖です。


袴姿が特に流行し始めたのが 漫画「はいからさんが通る」が

出た時期ではないかと思います。



女性の袴姿は本来 運動着や作業着としての位置づけなのです。累的许诺


しかし 時代とともに 流行やマナーも変わりつつあります。



だからといって あまりにも日本文化のマナーからかけ離れたものであっても

困りものですが 古き良き文化を守りつつ 時代の流れに乗るのも用意在新

仕方のないことかもしれませんね雀儿在鸣叫

家族の形態、在り様は大きく変貌を遂げた。

・・・

核家族は、お互いのいいとこ取りをしている。
が、交流がうまくいかない核家族は、年寄り世帯と若い世帯が、別個に存在し、自分たちとは異なる世代のことを知らない。孩子眼中流入的天真
これは、相互理解を阻害している。
世代間のギャップ、溝が深まる。

いずれにしても、キーマンとなる求心力のある人物を中心に、家族がまとめられている場合が多い。
そのキーマン求心力が、新しい家父長制に代わるものだと、わたしは思っている。

キーマンが中心になって、バリバリと統率力、リーダー性を発揮する。
キーマンが弱ると、急激に、家族の求心力も低下する。
そのキーマンは、昔なら当然、家父長であるが、今は、女性なんじゃないかと思ったりする。
おじいちゃんより、おばあちゃんのほうが長生きするし、息子より嫁のほうが、しっかりしていたりする。

たまたま、わたしの場合は、嫁であるわたしは、しっかりしていなくて、
夫は、ただただ古いだけのガンコ頭の持ち主、
今のところ、義母がキーマンである。
ポスト義母は、いったいどうなるのか、想像がつかない。
わたしが、義母の代わりに、ばりばり頑張るかというと、まったくそんな気配すらしない。
どうにか自分の任期をことなきを得て終了し、大急ぎで弱弱しく、次の代にバトンタッチすることだろう。

次の代は、バトンを受け取ってくれないかも知れない。
あるいは、次世代が老人になる頃に、バトンを受け取り、一瞬手にしただけで、バトンを落とすのかも知れない。
ころころと転がったバトンは、どこに行くのだろう。
それが、時代の流れなのだろうか。

転がったバトンを拾いに行けるほど、わたしは元気ではないだろう。
というより、あの世から、その様子を見ていることだろう。happy journey
その転がったバトンを孫が受け取ってくれるのだろうか。
そこまで心配していても、確かめる術もない。

この憂い・・・いつも孫に言っていたとしたら・・・
吉と出るか、凶と出るか・・・
おばあさんに、孫守をしてもらって楽だ~と喜んでいたら、おばあさんは、なんのことはない、 love and culturl
なにやら、ぶつぶつと、孫に、いつもいつも言って聞かせていることがあったりして、
三つ子の魂百までも、とまでもいかなくても、どこかでその影響が出たりして。蒙蒙细雨

・・・

そんなことは、思ってないにしても、この孫たちが、いずれ、自分の後を引き継いでくれる・・・
などと、自分にとって都合のいい理想やら妄想やらを抱きつつ、孫守をしていたとしたら・・・
ある意味、怖いような、怖くないような。
それを言い伝えというのだろうか。

わたしは、なにもぶつぶつと孫に語りかけるつもりはない。拔萝卜

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