2015年01月

「富貴の家、常に窮親戚の来往するあらば、便(すなわち)ち、是忠孝が、
恩義を厚くすべし」の一つのバロメーターであろう。

 銭を愛する者は、他人を愛し得ないが、自分の愛する妻子は溺愛するもの
である。しかし、地位に執着し、名誉を愛するものは、親戚や家族までも犠牲
にする場合がある。つまり自分の地位や名誉のためには親戚の窮状も見殺
しにし、家族の失敗や過失も親身になって面倒をみない。 深くタッチしすぎ
て、自分の地位や名誉が傷つくことを恐れるからだ。

 「百薬も一心の安きに如かず」 には先生から伺った適切な例がある。

  液体空気で冷却したガラス管に息を吹き込むと、息の中の揮発性物質が
固まり、無色に近い液体となる。
 しかし、怒った人間が吹きこむと、数分後に栗色の滓が残る。
 
 苦痛やあるいは悲哀の時は灰色、後悔している時は暗紅色となる。
 
 また、この栗色の滓を鼠に注射すると神経過敏となり、嫌悪の情に駆られ
ている人の息の滓なら数分で死んでしまう。

 だから、先生は健康の三原則として

      「喜心」 と 「謝念」 と「陰徳」 の三つを挙げられる。

―ーーーーー次回に続きますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
  短歌

     馬鹿みたいなにを言われても笑ってる仕方ないなぁまあいいかってね

     怒るほどつまんないことないと思うだって考えみんな違うもん

     友からの優しいメール読みながらほんとういいなぁ心に沁みる

     誰だって意見があるものそれがいいそれぞれ言えばそれぞれ正しい

女性作曲家アン・ロネルが
敬愛するジョージ・ガーシュインに捧げた曲として知られ、
ビリー・ホリデーなどが歌い、ヒットした曲。
この曲、邦語訳では、 ”柳よ、私のために泣いておくれ” となり、
この詩の意味を簡単に要約すると、
「嘆く私の声を聞いて、そして、私のために泣いておくれ」となる。
人は、柳の、あの枝垂(しだ)れている様子に人はつい願い事を言いたくなるのだろうか 新西蘭奶粉

この曲が誕生したアメリカだけではなく、
日本の「いけばな」に、柳を結んだ『結柳(むすびやなぎ)』というのがある。
枝垂れ柳を輪にしたものを言うが、
茶道の初釜のときは、床の間には決まってこの『結柳』が飾られる。
古い中国でも「折柳(せつりゆう)」と呼ばれるものがある。
親しい人の旅立ちのときに、
無事を祈って枝垂れ柳を手折ってその餞(はなむけ)としたというもの。

今頃の柳は春の兆しを得て、しなやかに撓(たわ)んでくるという mask house 面膜
ちょうど時あたかも、初釜の頃となり、
それを『結柳』にするのは、時宜にかなっているとも言える。
初釜の茶室では、良い年を祈る気持ちを込めながら、
お茶の分量を少し多めにした濃い茶を頂くことになる。

オランダの歴史家ホイジンガは、『中世の秋』の著書の中で、
「ホモ・ルーデンス」という言葉を用いた。
これは、「遊び(=ルーデンス)」というものが人間を形成したという意味で付けられた名称。
すなわち「遊び人間」という意味。

これら、柳に託された人の気持ちを考えると、
人間、つまるところ、「祈り人間」という気がしてくる。

と言って、祈りが通じるかどうかは、別だが、、、。


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